コラム「LOUNGE-1月号」 ―「わかること」と「わからないままでいること」―
(2011年1月12日掲載) 昨年末に、ふとしたことで一眼レフカメラを購入しました。それまではコンパクトデジカメで済ましていましたが、果たして何が変わるのだろうかという思いと同時に期待感もありました。実際に手にすると、画像としてその瞬間の移り変わりが記録でき、そこにある風景も生き物も、常に変化し続けているものであることを改めて認識させられました。変化してとどまることを知らない「生きている」ことの断片を、より明細化してそこにあらわしてくれます。大変新鮮で、肉眼では見えていたとしても見過ごしていたかもしれないものがそこにありました。
さて、他者との会話において、私たちは自らのことについてお互いに相談し、意見をもらうのですが、わかってもらっているかどうかについてはあいまいなままで済ますこともあるのではないでしょうか。時に多くのコメントをもらい、かえって混乱することもあります。その際、相談相手が自分を映す鏡のようなものであると、自分がそのように思ったり感じたりすることについて、それなりの経緯があり、かつ同じことが繰り返されてきていることに気づくことができます。たとえると、考え方・感じ方そのものの瞬間をカメラで切り取るような新たな体験です。
一方、私たちの中にはわかってもらいたいという思いと同時に、簡単にはわかられたくないし、わかってもらえるはずもないという思いがあります。これまで繰り返されてきた他者への期待感と同時に裏切られてきた思いが並行して生じているからです。ですから、友人や家族から相談されたときに、わからないことをわかったようにして理解を伝えるよりも、わからないことをわからないこととして共有しそこにとどめておくことのほうが、より安心を与えることができることもあるようです。わからないことは私たちに不安を呼び起こしますが、白黒つけがたいことのなかに真実が隠されているのかもしれません。セピア色のモノトーンな色調も捨てがたいのです
。
―待合室で読める本から―
「『治るうつ病』と『治らないうつ病』」 (エムシー・ミューズ) 富澤 治 著精神科医である著者が診察室で伝えている内容を本にしており、実際に診察をうけているような感じも味わえます。「うつ病と一括りにされている人たち」のそれぞれの問題に、今できる方法で対処し、解決を図るにはどうしたらいいかということのヒントが得られます。「私のパニック障害―患者から学ぶ安心生活の方法」(主婦と生活社) 野沢 真弓 著
パニック障害の患者がどのようなことに悩み苦しんでいるのかを著者の経験をもとに、患者側の視点でまとめています。パニック障害の人への接し方、患者の心構え、薬とのつきあい方、元気になれる日常生活の過ごし方などを解説しています。「からだを動かすと『うつ』は治る」(総合法令出版) 舛谷 真生 著
うつ病は治すものではなく「克服」するものであり、うまく付き合えるようになるものだと著者は言います。著者自身も「卒うつ」した経験を持っており、うつ病克服のために必要な「治すための行動力」が身につく手法を紹介しています。