コラム「LOUNGE-10月号」 ―同じ「場所」からみえてくること―
(2010年10月12日掲載) 先日、ディカプリオ主演の「シャッターアイランド」をDVDで見ました。妻の心の闇に気付くことを恐れた主人公の、自らの心の闇に絡みとられていくさまが描写されており、改めてこころの現実と外的事実の錯綜とした状況に私たちが生きているということに気づかせてくれました。症状は表の部分ですが、そこには何らかの意味が潜んでいます。その裏側の部分に関心を寄せ、言葉で紡ぎだすことが治療的変化につながるのですが、そこには否認の機制も強く働き、症状の再燃が繰り返されることもあります。 こころの中には様々な衝動、葛藤、欲望、不安が蠢いており、精神分析でいうところの無意識には非合理な思考が働いています。夢内容がまさにその世界を視覚的に表現してくれるのですが、治療者との間に言葉になって共有することで怖いと思っていることも明るみに出すことができます。お化けも人気のない深夜に見るから怖いのであって、白昼の元に曝せば恐れることはないのです。 それではどのようにしてこころの中を見ていくことが可能になるのでしょうか。このコラムでも繰り返し取り上げていますので、これまでの記事も参考にしていただけると幸いです。なにより、同じ場所で予定された時間に二人だけの空間を共有していることです。私たち治療者は部屋から動かないので、持ち込まれる様々な変数に一定の視点を与えて理解し、そのことを患者の立場で伝えます。 たとえば、他の分野の医療や福祉に携わっている方も多く来院されます。ほとんどがチーム医療ということで役に立とうとされている方たちですが、大変なストレスの中で仕事をしておられます。自らが外に出てユーザーや他の職員との関わりの中で傷つき、悩み、苦しみ、面接においてはそこに生じてくる葛藤をそれとして浮き彫りにして整理していくことが求められます。そのような要求にこたえることを可能にしているのは、同じ場所で同じところから同じ世界を見つめているという仕事だからなのです。参考:北山修「最後の授業」みすず書房―待合室で読める本から―
「働く人のための「読む」カウンセリング」(研究社) 高山 直子 著私たちの恥の感情に根差した、控えめな職場でのコミュニケ―ションがもたらす自責感に対する、「自分らしさ」を取り戻す生き方のヒントが得られます。 「ぼくを探しに」(講談社) シルヴァスタイン 著
心の中の“足りない何か”を探しに出る旅をシンプルなタッチで描いた絵本です。 「アンジュールーある犬の物語」(BL出版) カブリエル・バンサン 著
車の窓から捨てられた犬が野良犬となり、彷徨の果てひとりぼっちの子どもと出会うまでの犬の表情と姿態の繊細なデッサンには心を動かされます。